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ゲームとストーリーについて

ゲームにストーリーって必要なのか?という話はもう随分他のブログでは語られているけど、そういうのあまり参照せずに持論を書いてみる。

 

トーリーとは

物語。誰かのお話を語った・語るもの。

トーリーの役割とは

持論はこう

 

「ゲームプレイ以外の時間にプレイヤーの動機付けをする」

 

楽に言うと、「ゲームプレイ同士の間をもたせる」というか。

ゲームプレイ以外の時間とは、プレイを始める前、プレイ終了後、ステージクリア後から次のステージまでの間といったような時間だ。

こういうことを言うのには、私の考えるゲームの楽しさが関係している。

プレイの楽しさは後からやってくる

ほぼ日刊イトイ新聞-脳の気持ちになって考えてみてください。 〜「やる気」と「脳」の話を、池谷裕二さんと。〜

「やりはじめないと、やる気は出ません。
 脳の側坐核が活動すると
 やる気が出るのですが、側坐核は、
 何かをやりはじめないと活動しないので。」

(この記事をteruyastar(id:teruyastar)氏のブログで知りました)

側坐核 - Wikipedia

活動をすると側坐核が働いて報酬系が働き楽しくなる云々(よく知らない)

プレイすることが楽しさにつながる。ゲームの本質的楽しさはここにあると思う。

では、プレイヤーはどうしてゲームをやろうと思う?

プレイ前のプレイヤーはゲーム的楽しさを感じていないのだから、気まぐれでやろうとか思わない限り無理では?

いやそういう話だけじゃない。

人によって楽しさを感じる度合ってやっぱり変わってくると思うけど、多くの人々がはたして「このゲーム、プレイ自体が楽しい!」と思って続けてくれるだろうか。次ステージに向かうだろうか。チュートリアルから抜け出して進めてくれるだろうか。

トーリーで終えてしまったゲームがある

ポケモン不思議のダンジョン
赤の救助隊 | Wii U | 任天堂

個人の話で言えば、それはポケダン赤だ。あれはストーリーが終わった後徐々にやる気が失せてしまった。不思議のダンジョン系は面白いシステムだが、当時の自分は自力で新しいダンジョンに挑戦していかなかったので同じステージを繰り返すようになり飽きてしまった。グミを多く集めてリザードンに全部つぎ込んで以来ほとんど触れていない。

なぜ続けられたのか

お話が面白かったから、なのだろうか。

探索時にやっていること自体はほとんど同じなのにあれだけ楽しめたのは、毎回ストーリーに変化があったからだ。そのおかげで繰り返しだと認識しなくなっていた。

ゲームプレイ以外の経験ってストーリー体験くらいしか残らない?

ゲームでしている事って、

・ゲームの設定(音量、難易度、どのステージにするか等)

・ゲームプレイ(アクション、移動、アイテムやりくりなど多岐にわたる)

に加えて、

・ストーリーを体験する

 もある。じゃあストーリーの役割はというと、残されたこと全部だと思う。すなわち

「ゲームプレイ以外の時間の間を持たせる」

ということだ。

トーリーがあるから次のステージに進む理由が生まれる。ストーリーの先が知りたいからゲームプレイを進める。

ゲームにおいてそれ以外の要素はおそらく上記3つの補助演出として働いている。

 

理由と行動を提示し、「あとは解決するだけだ!」とプレイヤーに促している、と言ってもいい。

行動に一連の関連を作り、プレイヤーのプレイの整合性を保証しているのだ。

まぁ、どうぶつの森Minecraftなんかは最初の理由提示が少なく(タヌキチとか夜の時間とかくらい?)、自分で見つけなければならなかったりするけど。

ゲームにストーリーは必要なのか?

答えは「ストーリーは多くの場合必要だが、本質的な楽しさであることは稀だ」。

重要なのは「間を持たせる」ことだ。例えば、

テトリスやチェス、将棋、七並べなどで、ストーリーを感じる必要はない。あれらは単一の課題によってもたらされるゲームだから、「間=休憩やゲームをしていない時」となる。

・逆に、RPGは課題が多岐にわたる(おつかい、謎解き、雑魚戦、ボス戦等)ので、スムーズにゲームを進めさせるうえでどうしても理由が必要になる。そこでストーリーが必要になるのだ。

・ストーリーを読ませるタイプのゲーム(ノベルゲー)は、「読むこと」が課題になる。ヒロインの好みとかを覚えていないと先に進めないゲームとかは存在している。

 

いうなれば、RPGとノベルゲーで求められるストーリーは、そもそも役割が少し違う。

RPGは話として次の課題に繋がれば問題ない。シンプルであるほど理由が理解しやすく進みやすくもなる。

ノベルゲーは読ませなければならないので、ある程度複雑になってしまう。理解に時間をかけさせる事で読ませている節もある。後はビジュアルで引き寄せたりなど。

 

 

ゲーム論その2。定義の掘り下げ

ゲームとは何か - ゲームの論とか言わせて

上記から続く。

「ゲームは課題の表現」という言葉を掘り下げる。

・課題

 課せられた問題。

 問題という言葉は色々と考えられるが、「何かをする(でもどうやって?)」という意味だと言える。

 また、単なる遊びと違うのは「そこに責任が生じる事」だ。

 他人に何かを課す事は、責任を持って行われる。遊びは無責任に行われている。

 

 問題を解く人と、問題を課す人に対して相互に生まれる責任。

 それは主に「問題の終わり」に対して責任を持つことである。

・いつ終えるか、どう終えるかは解決者自身で責任を持ちなさい。

・終える事ができること(=解決可能であること)は課す人が保障しなさい。

 というように。

 だからこそゲームのインタラクティブ性は特有だ。 

 

・表現

 表(おもて)に現すこと。表に現れたもの

 何が「表(おもて)」か。少なくとも創作では、創作が他人に対してあらわれているという意味だと考えられる。

 思考実験に「見ようとすると消えてしまう芸術作品」というのがあるが、私の立場ではそういった作品は「見ようとすると消えてしまう事」そのもので表現として成り立たせているのだ。そもそもそこに芸術作品があると分かっていなければ全く誰からも反応されない代物だ。家の壁に古い芸術品が埋まってるとか急にわかるもんじゃない。

 

 他人・世間・世界に対して現れるのだから、表現では倫理的な問題は解決されなければならない(倫理的問題を問いかけるのなら話は別かもしれない)。

 

 また、現れた"もの"なので、実体が存在する。データだ。(データが実体かどうかについての議論は余り関係ない)

 私は、データを次の3種に分けて考えている。

1.ルール(rule)

 規則や法則。「段差を飛び降りると死ぬ」「武器は一つしか装備できない」「Aボタンを押すとジャンプ」、物理法則等。

 プレイヤーに対しては、後述のノウハウ、ケースによって抽出される。脳内で作られる。明文化されることもある。

 ノウハウより抽象度合いが高く、なかなか変わらない。

 ゲームを作るうえではここを製作者側が決めてやる必要がある。逆に言えば非常に柔軟に決められる。

 

2.ノウハウ(knowhow/knowledge)

 経験によって得られた方法論、知識など。「この場所はこのモンスターが出やすい」「ここは段差が多くあるので死にやすい」「この武器は装備せずに投げたほうが強い」等。

 ケースによって抽出される。脳内で作られる。明文化されることもある。

 プレイヤーが学習によって得るものであり、製作者が事前に決定できないものだ。しかし、ある程度誘導することは出来る。

3.ケース(case)

 実物。具体(例)。マリオで言うステージそのもの。ドラクエでいう敵、マップ、一回一回の戦闘、シナリオ。世界等。

 プレイヤーが目で見て手でいじり、耳で聞くもの(直接プレイヤーに表現されるもの)はこれ。唯一実体が外部にある。

 製作者が作る実物はこれだ。ここの作り方次第でノウハウを上手く誘導できるかどうかが変わってくる。

 

似たもの(?)との違い

以下では、次のページを参考に、他のものとの違いを考える。

ゲーム論・ゲームとは何かhttp://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/g_ron01.htm

ゲーム論・ゲームとは何か(2)http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/g_ron02.htm

テレビゲームはパズルであるhttp://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/g_ron05.htm

 

遊びとの違いは既に書いたので割愛。

玩具とゲームの違い

 玩具にはルールがない。

競技・スポーツとゲームの違い

 「結果だけが重要だ」と言う点でこの二つは同等だ。

 ゲームは「何かをする事を課すもの」だとするなら過程のほうがより重要だといえる。

文化とゲームの違い

 これだけ他のものと違って総称だ。行為の美しさを重視するって事らしい。

 ゲームで言えばRTA・TAS等の事だろうか。

 ゲームも文化の一部だ、といえる。

 華道、茶道はゲームじゃないらしい。しかし、これらに対して自分でゲームとして定義してやることは出来るとおもう。ただ、既存のゲームとちょっと評価の仕方が違うだけで。

ギャンブルとゲームの違い

 運要素が大きく絡むのが特徴。ゲームと違うのは、プレイヤー同士で金銭の授受等の責任を負う事や、プレイヤーのノウハウの差がゲームの決定的な差になりにくい事だろうか。

クイズとゲームの違い

 ルールは「回答者はクイズに答える」。後は回答者の知識依存。

 ルールは定まっているから、ゲームの一種と考えてもいい気もする。

パズルとゲームの違い

 ギャンブルと違い、運要素が全くない(テトリスとかぷよぷよのような落ち物パズルは例外)。

 

コンピューター相手のゲームはゲームじゃない?

 結果や答えが決まっていないものがゲームだ、コンピューターゲームはパズルだ、という。

 別に決まってても良い気がする。というか、答えを知らなければ別にいい気がする。

 テトリスぷよぷよローグライクなんかは、「いつかは分からないけど、必ず死ぬ」ことは決定されている。rpgだって初回プレイのときはストーリーの結末を知らない。最初DQ5が3章構成だって事を私は知らなかった。

 この場合、「製作者対プレイヤー」の構図だとか言われている。推理小説なんかにあるタイプのものだ。見方を変えれば遅効性の人間対人間だからゲームでも問題ない気がする。また、ゲーム自体に追加データや更新を行えるようになったので、製作者対プレイヤーでもその頻度は高くなっていると思う。

 近年の技術進歩で、対人の代わりとして実用になりうるAIが作られたときにどうなるのだろう……。(そうなったらそいつはもう今の「コンピューター」じゃないかもしれない……)

 

ゲームとは何か

小説を読んでいると、たまに「小説は人間を表現する」的な話を目にする。

 

そこから類推して色々考えた。

他の媒体についても考えてみた。主に何を表現しているのだろうか、と。

直感によるものなので正当性は保障なし。

 

・音楽は聞いてると精神に作用してくる感じ→音楽は精神の表現(パンクロックとかトランスとか)

・絵画はその人の思想がもろに出てくる感じ→絵画は思想の表現

・演劇は人間性とかよりも行動が出てる感じ→演劇は行動の表現

・映像は有限時間で現実を一部切り取る感じ→映像は事件の表現(事件=イベントと同義)

・詩は小説×音楽→読む人に対峙する精神?

・写真は絵画×映像→事件への思想(ハゲワシと少女とかその例?)

・舞踊は音楽×演劇→体の動きで精神を表現?

・漫画は……映像×絵画(思想の一部切り取り)→文化・世界の表現?

漫画は世界観がメインだろう。日常系マンガとかはその例だと思う。

 

で、ゲーム。

こいつは他の創作よりもインタラクティブ(と言われている)で、なんだか別格のような気がしてた。

正直ゲームなら上記のすべてを引用したりできるし、『なんでもアリ』感が強い。

ゲームは総合芸術(総合技術)だって言ってる人もいたし。

何か端的に言い表す言葉が無いかと探して2日経った。そしたら出てきた。

 

・ゲームとは課題の表現である。

課題と聞くと一見ゲームと離れていそうだがそうではない。

ゲーミフィケーションは、

ゲーミフィケーション - Wikipedia

ゲームデザイン手法や仕組みを用いて問題の解決やユーザー契約などを獲得すること。

 だし、

ゲームは頭がよくなるなんて言説で、ゲームを課題と読み替えてもあまり遜色ない。

(ゲームやると頭が悪くなる系の話で課題と読み替えると、何だか書いてる人が宿題やりたくない人に見えてくる)

よくよく考えれば、ゲームへの取り組み方と、課題への取り組み方はほぼ同じだ。

ただ、ゲームのほうがリアルタイム評価で、楽しくて、作るのに少し技術が必要だったり、生産性が無かったりするだけで……

いや、生産性は課題”そのもの”には無いから別にいいのか。生産性は「課題による結果」の話だ。

最近は賞金の出るゲーム大会があったり、プロゲーマーがいたり、実況者がいたりと、生産的(?)な例も増えてきているし。

 

どうですか、結構いい線いってると思うんだけど……

おそらくゲーマーのなかでもシステムを重視してるって人が求めているのは課題性の強いゲームなんじゃないかと。

一本道のRPGでも面白いのは課題がしっかりしてるからじゃないか?

ひぐらしが売れたのは謎解きという課題があったからじゃないか?(やったこと無いけど)

 

もっと自分がゲームやってからじゃないと確信が持てないですが、この目線でゲームを捕らえて行く事にして、ゲーム論を書いていこうかと画策しています。