ゲームの論とか言わせて

ゲームの話とかを書いてます。「とか」が多くを占めます。

質より量というよりも質に量、の話

質より量というよりも質に量、の話

「量をこなせば質は上がる」という言葉は好きじゃない。

自分は量をこなそうと思ったらクオリティはほぼそのままで労力が増える人間なので。

質を上げる行動をする、その試行錯誤のことを量といってるのであり、量があるから質が上がるんじゃなくて、質が上がった時には量をこなしていた (試行錯誤していた)という方が自分はしっくりくる。

「人に量をこなそうって言われても何の為にやるのか分からない」のは当たり前で、「質が上がったと人に言われる(評価される)のはどんな行動なのかを模索する」くらいの感覚で行うべきだ。「評価される」と言っても、「これなら評価されるだろう」というような打算的な、予測的な行動ではなく、「実際に評価されたか否か」で決まることなので、ただただ行為して、結果を観測して、ありうるものを減らしていくだけでいい。そのサイクルの早さは人の成長の早さと言っていいと思う。

古典物理学のような「理論通りに動くはずだ」ってことは通用しない。そもそもその理論は何度も実験によって試され・実証されてきた、いわば「評価された」ものであり、それを利用しているだけだ。個々人の評価される行動(つまりのちに「評価された」になるような行動)は共通の理論なんてほとんどない。就く職業も学ぶ事も人間関係も身体能力も違う人間の、それらの特性に沿った理論なんて、サンプルが少ない。古典物理の法則等は、かなり過度な抽象化を行った結果得られた理論なので、かけ離れていると言える。数学や言語は純粋に抽象物なので、予測や評価などとは無関係な対象である。

 

ブログの話で言えば、記事をたくさん書く人間が質を上げるというよりも、質の上がる人間は量をこなしていたという方が言ってることはしっくりくる気がする。東大を例に挙げるなら、東大に入れば頭がいい人という訳ではなく、頭のいい人が東大に入ることが多いくらいの、そんな論理が逆といった話のようでどちらかというと傾向の話。