ゲームの論とか言わせて

ゲームの話とかを書いてます。「とか」が多くを占めます。

最近考えてる分類

最近考えてる分類

何も考えないよりはましだと思って、とりあえず分けるってのをやってる。

最近の奴をブログに書いてみることにした。

快楽と快適、慈愛

快楽が、「何かをした対価として何かを得る」事

快適が、「何かをすること自体が得ることになる」事

慈愛が、「何をしたかに関わらず得られる」事

フィードバックがどう来るか、という違いで分けている。

歩合制は「終わるたびに払う」システムなので快楽に当たる。

快楽の場合、自分の能力のみにより報酬が左右されるので不安定だが、やりようによってはいくらでも稼げる。自己責任。

慈愛というのは、例えば月払いのような「継続して払われる」システムだ。これは自分の行為にほとんど関係なく支払われる。ある場合では、労力の方が報酬よりもかかり大変である。

快適は、「する事自体がうれしい」というやつ。作業興奮のようなものだと思う。「やりがい」なのだろうか。ちょっと違う気がする。

 

「今」と「過去、未来」

 我々が予想する未来というのは、「過去から予測される(考え出される)もの」なので、過去の延長上にある。「本当に未来を知ること」はできない。

 例えば、スケジュールを立てることを考えると、それを使う頃には、立てたスケジュールは過去のモノになっている。実際には予想外、想定外の出来事が起こることがあり、計画通りには進まないかもしれない。スケジュールを守るというのは、過去の予測を実現させるという意図的な行為だ。量子力学の「観測するまで位置が分からない」という奴はこれだと思う。

 とすると、残された「今」というやつが一番新しい存在だという話になるが、コイツをはっきりと認識することは難しい。まずいい定義が思いつかない。過去でも未来でもないという論理的で後ろ向きな表現では満足したくない。誰か教えて。

抽象経験と具体経験

抽象経験が「同じ視点から多くの物を見る」事で得られる経験で、

具体経験が「同じ物を多くの視点から見る」事で得られる経験。

抽象経験は一般論を導き出す一方で、具体経験はその特徴(言わば個性)を導き出す。

Youtubeとかで流し見する場合は抽象経験、

一本の動画をいろんな方法で見る(サイトの違いかもしれないし、倍速や逆再生かもしれない)のが具体経験。

少し変わるけど、「Youtuber、ジャンルで見るか一人を見るか?」という話でもあると思う

この二つの経験は科学と芸術の違いに近い気がする(無責任発言)。