身しかない変な考え

身しかない変な考え

・ゲームと依存症?

ははぁ……。

izons.net

最近このページを見ては、「依存症になるようなゲームは良いのか?」というで悩んでいる。

作る側はそんなこと考えなくていいと思うか?作る側からすれば、そんなのプレイヤー側の自己責任だろ、というかもしれない。 

正直なところ、評価なんて個人個人で変わってしまうものだから、一概に悪いとかいいとか言っちゃうのは総論的な解決をしない。

 

……とか書いたりしてみる事が出来るのは、私がゲームを今現在全く作ってないからである。

作っちゃえばいい。「ぼくのかんがえたさいきょうのげーむ」を頭に浮かべただけの自分が人様に影響を与えられるはずがない。

 

・人に遊んでもらいたいなら作れよと思う。

思っているのにやめられない

最近の自分が、どうもやる前から色々と考えすぎる傾向にある。

これってある意味依存症な気がする

糞みたいなクソゲーしか作れないのが「分かっている」から、それを避けようとして皮算用をしている。

 

・人のまね位しかしてきていない気がして来た

 オリジナリティという言葉の意味をはき違えて、「人とは違う」事をやろうとするけれど、その割には他の多くの人のことを知ろうとしない。

Originalという言葉は「根源の」という言葉がしっくりくる。

「自分の創作が始まりだ」ということではなく、

「自分の創作が何かの根源に(深く)かかわる」ということの方が今の私にはしっくりくる。

 私の体は私のオリジナルだし、オリジナルソングは自分や他人の根源にかかわるからオリジナルソング、OSTは作品の根源にかかわるからオリジナルサウンドトラック……。

オリジナリティを追求するってことは、本質を極めるって事と同義だ。

 そしてその方法は「人と違うことをする」ではないのである

 「他の人より根源に近い事をする」という点では、「人と違うことをする」に当てはまる気もするけれど。

根源を見極める方法として科学があるのだと思う。

 他の人の作品との比較によって変わるところと変わらないところが分かり、有機的な概念のつながりが生まれる。これによってより根源の、より核心的なものを見つけることが出来るのだ。

 だから、「人のまねをする」ことは比較材料を手にする手段の一つと考えれば全く悪い事ではなく、むしろオリジナル性が上がる行動なのではないだろうか。

あくまでも手段の一つなので真似だけしていればいいってもんでもないけど。

 

ただ真似をしているだけじゃダメなのだろう。

いちいち振り返って考察を深めていかなければ、物を作る目線は浅いままになるのではないのかなーと思う。

全然具体的じゃないですね。

これもある意味「抽象依存」といえるかもしれない