ゲームにストーリーって必要なのか?という話はもう随分他のブログでは語られているけど、そういうのあまり参照せずに持論を書いてみる。
ストーリーとは
物語。誰かのお話を語った・語るもの。
ストーリーの役割とは
持論はこう
「ゲームプレイ以外の時間にプレイヤーの動機付けをする」
楽に言うと、「ゲームプレイ同士の間をもたせる」というか。
ゲームプレイ以外の時間とは、プレイを始める前、プレイ終了後、ステージクリア後から次のステージまでの間といったような時間だ。
こういうことを言うのには、私の考えるゲームの楽しさが関係している。
プレイの楽しさは後からやってくる
ほぼ日刊イトイ新聞-脳の気持ちになって考えてみてください。 〜「やる気」と「脳」の話を、池谷裕二さんと。〜
「やりはじめないと、やる気は出ません。
脳の側坐核が活動すると
やる気が出るのですが、側坐核は、
何かをやりはじめないと活動しないので。」
活動をすると側坐核が働いて報酬系が働き楽しくなる云々(よく知らない)
プレイすることが楽しさにつながる。ゲームの本質的楽しさはここにあると思う。
では、プレイヤーはどうしてゲームをやろうと思う?
プレイ前のプレイヤーはゲーム的楽しさを感じていないのだから、気まぐれでやろうとか思わない限り無理では?
いやそういう話だけじゃない。
人によって楽しさを感じる度合ってやっぱり変わってくると思うけど、多くの人々がはたして「このゲーム、プレイ自体が楽しい!」と思って続けてくれるだろうか。次ステージに向かうだろうか。チュートリアルから抜け出して進めてくれるだろうか。
ストーリーで終えてしまったゲームがある
ポケモン不思議のダンジョン
赤の救助隊 | Wii U | 任天堂
私個人の経験で言えば、それはポケダン赤だ。あれはストーリーが終わった後徐々にやる気が失せてしまった。不思議のダンジョン系は面白いシステムだが、当時の自分は自力で新しいダンジョンに挑戦していかなかったので同じステージを繰り返すようになり飽きてしまった。グミを多く集めてリザードンに全部つぎ込んで以来ほとんど触れていない。
なぜ続けられたのか
お話が面白かったから、なのだろうか。
探索時にやっていること自体はほとんど同じなのにあれだけ楽しめたのは、毎回ストーリーに変化があったからだ。そのおかげで繰り返しだと認識しなくなっていた。
ゲームプレイ以外の経験ってストーリー体験くらいしか残らない?
ゲームでしている事って、
・ゲームの設定(音量、難易度、どのステージにするか等)
・ゲームプレイ(アクション、移動、アイテムやりくりなど多岐にわたる)
に加えて、
・ストーリーを体験する
もある。じゃあストーリーの役割はというと、残されたこと全部だと思う。すなわち
「ゲームプレイ以外の時間の間を持たせる」
ということだ。
ストーリーがあるから次のステージに進む理由が生まれる。ストーリーの先が知りたいからゲームプレイを進める。
ゲームにおいてそれ以外の要素はおそらく上記3つの補助演出として働いている。
理由と行動を提示し、「あとは解決するだけだ!」とプレイヤーに促している、と言ってもいい。
行動に一連の関連を作り、プレイヤーのプレイの整合性を保証しているのだ。
まぁ、どうぶつの森やMinecraftなんかは最初の理由提示が少なく(タヌキチとか夜の時間とかくらい?)、自分で見つけなければならなかったりするけど。
ゲームにストーリーは必要なのか?
答えは「ストーリーは多くの場合必要だが、本質的な楽しさであることは稀だ」。
重要なのは「間を持たせる」ことだ。例えば、
・テトリスやチェス、将棋、七並べなどで、ストーリーを感じる必要はない。あれらは単一の課題によってもたらされるゲームだから、「間=休憩やゲームをしていない時」となる。
・逆に、RPGは課題が多岐にわたる(おつかい、謎解き、雑魚戦、ボス戦等)ので、スムーズにゲームを進めさせるうえでどうしても理由が必要になる。そこでストーリーが必要になるのだ。
・ストーリーを読ませるタイプのゲーム(ノベルゲー)は、「読むこと」が課題になる。ヒロインの好みとかを覚えていないと先に進めないゲームとかは存在している。
いうなれば、RPGとノベルゲーで求められるストーリーは、そもそも役割が少し違う。
RPGは話として次の課題に繋がれば問題ない。シンプルであるほど理由が理解しやすく進みやすくもなる。
ノベルゲーは読ませなければならないので、ある程度複雑になってしまう。理解に時間をかけさせる事で読ませている節もある。後はビジュアルで引き寄せたりなど。